ポニポニピープル Dialogue 002 鶴岡章吾

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にんげんフェスティバルを形にしなきゃ

菊地玄摩 そんないきさつがあったとは、意外でした。鶴岡さんと僕とは、2022年の6月に初めてお会いしたのですが、そのときには、大牟田のデザイナーとしての鶴岡さんは完成していた状態で、てっきり始めからそういう方だと思っていました。
ところで僕が「ポニポニの『にんげんフェスティバル』を一緒にやりませんか」とお話をしたときに、ポニポニのことは既にご存知だったと思いますが、どう思われましたか。

鶴岡章吾 はい。突然のメールに、すごく嬉しかったです。僕の課題の一つですが、良くも悪くも大牟田の中で仕事が完結しています。この5、6年は、大牟田で仕事をもらって生活ができていますが、これから先も仕事をやっていく上で本当にこれでいいのかなと、モヤモヤを抱えていました。いろいろな地域の人と仕事をしたいと思っていた折、菊地さんからあのメールをいただきました。そのとき初めて外部の方が大牟田で何かをされてると知り、「すごいチャンスがあるんじゃないか」と感じました。すぐにでもお会いしますと、お返事したわけですね。はい。ポニポニのサイトでは、あまり概略はわかりませんでしたが、対話とか概念的な話が多く、今までの僕の仕事やキャリアの中にはないような取り組みに参加できるんじゃないだろうかと思っていました。チャンスだなと強く感じていましたね。

菊地玄摩 当時ポニポニ理事だった菅原さんとは、それ以前から一緒に仕事をされてますよね。

鶴岡章吾 2019年から菅原さんの医療法人のパンフレット制作などに携わっています。その中で菅原さんの抱えている課題を一緒に考える機会がありました。菅原さんは、地域の人たちとの対話、スタッフ同士の対話、地域とスタッフの対話を促す病院のあり方を模索していました。それをグラフィックや企画に落とし込んで何かできないかと相談を受けていました。そこで敷地内にとりあえずベンチを置いて、スタッフの人たちや入院している方や外部の方が、ベンチを中心にコミュニケーションをしながら、議論や提案ができるような企画はどうですかと話をしていました。この話は、ポニポニの「湯リイカ」の話にリンクする部分が多く、ポニポニの話もすっと腑に落ちました。

菊地玄摩 菅原さんとの企画の経験があったから、にんげんフェスティバルのことも未知のものというよりは、地続きの感触があったということですね。こうした方向に仕事が広がると期待していましたか。

鶴岡章吾 以前の菊地さんの資料が面白かったです。僕たちの会話を菊地さんが図解化されていて、あれはしっくりきましたね。ポニポニの活動、菅原さんが考えてること、僕が今後やっていきたいと思ってることが並んでいて、確かにこんな感じだという感覚がありました。

菊地玄摩 大牟田ハイツで、僕がデジタル付箋に書き散らかしたものを見ていただいた件ですね。当時「にんげんフェスティバル」というタイトルも決まってなくて、見せられる資料もなくて、明確にこれをやってくださいと言えない状態でした。見せられるものが他にないので、だめもとで出したのですが、下川さん(シロノマのスタッフ)も頷きながら喜んでくれましたね。わかる人たちがいたのは、すごく意外でした。

鶴岡章吾 僕と下川さんは、今は同じ会社のメンバーですが、当時は別々に個人事業をしていて、似たような経緯で菅原さんとの企画に関わっていました。同じ事務所の隣の席で、お互いの疑問に思うことや、モヤモヤしてることを話し合い、答え合わせをしてるような日々でしたね。ただお互いに確信はできておらず、正しい感じはするけれど、どうなんだろうと思っていたわけです。そこに菊地さんの資料がやってきて、「そうそうこういうことだ」「僕たちが思ってることは正解に近いじゃないか」と、答え合わせが少し先に進んだ感じがしましたね。

菊地玄摩 「にんげんフェスティバル」を急いで形にしなければいけない時期に、すぐに心の準備ができてる方々にお会いできて、こんなうまい話があるのかと思いました。意外な展開でしたが、大牟田で活動を続けていて、グラフィックデザイナーとしてスキルを持ってる人が、この話を面白がってくれた。もっとじっくり探す予定でしたが、「この人たちしかいないでしょ」と思い、どうか助けてくださいと、いきなりお願いしてしまいました。

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