ポニポニピープル Dialogue 002 鶴岡章吾

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にんげんフェスティバルのポスターやうずうずマインのロゴマークなど、ポニポニをデザイン面から支えてきた鶴岡章吾さん。大牟田でデザイナーとして活躍しているご自身の経歴や、その制作過程について語っていただきました。
(2023年10月18日収録 / 聞き手・菊地玄摩)

鶴岡章吾

株式会社シロノマ
ポニポニピープル Dialogue 003 菊地玄摩 ポニポニピープル Dialogue 002 鶴岡章吾 ポニポニピープル Dialogue 001 竹本直樹 UZUUZU MINE うずうずマイン にんげんフェスティバル 2022 - IdentitieS 〜わたしの行方

菊地玄摩

Circuit Lab. (ユニバ株式会社)
ポニポニピープル Dialogue 003 菊地玄摩 ポニポニピープル Dialogue 002 鶴岡章吾 にんげんフェスティバル 2022 - IdentitieS 〜わたしの行方

ポニポニピープル
鶴岡章吾さん

大牟田のグラフィックデザイナー

菊地玄摩 よろしくお願いします。鶴岡さんは、普段一緒に仕事をしている仲間ですから、どんな切り口でお話しを聞いたらよいか悩みますね。読者の方に向けて、まずは鶴岡さんご自身の話をうかがった後、ポニポニとの関わりについてお聞きしたいです。

鶴岡章吾 わかりました。

菊地玄摩 鶴岡さんは、シロノマ社でデザイナーをされていますね。

鶴岡章吾 はい。今年(2023年)で独立して9年目です。昨年末に、個人事業から株式会社シロノマに法人化しました。大牟田では、企業のロゴ、広告、会社案内や学校案内のパンフレット、行政のイベントポスターやチラシなど、グラフィックデザインの仕事ならなんでも請け負っています。

菊地玄摩 グラフィックデザインだけでなく、企画もされていますよね。

鶴岡章吾 一応グラフィックがメインですが、イベントの企画に関わることもあります。行政のイベントに携わったときに、企画の立ち上げから、イベントの内容をどうするのかについても話し合い、その内容をどう見せていくのか、その後の広告のデザインに繋げたこともあります。企業の場合も、商材や小物だけが決まっていて、これをどう展開していくのか、どうストーリーをつけていくのか。こうしたところから関わることも多いですね。

菊地玄摩 鶴岡さんの経歴については、グラフィックデザイナーや広告企画のお仕事に就いた経緯が語られているジモハックのインタビューがありますね。このインタビュー、面白いですよね。インタビューアーに「全然違います」って鶴岡さんがツッコんでいて、こんなスタイルのインタビューがあるのかと思いました。

鶴岡章吾 こんなラフな聞き方とラフなインタビューがあるなんて、僕も見たときにびっくりですよ。

菊地玄摩 面白いインタビューなので皆さん読んでいただきたいです。鶴岡さんの最近のお仕事についてはそちらで読むことができると思うので、今日は独立された時のことを伺いたいです。大学を出て最初に就いた仕事を退職し、同時に独立されていますね。そのタイミングで、大牟田に戻ってもいますよね。

鶴岡章吾 そうです。久留米から戻りました。

菊地玄摩 その時点がジモハックのインタビューに出てくるようなお仕事の起点だと思うのですが、どのような思いでフリーランス化されたのですか。

鶴岡章吾 元々独立するつもりは、あまりありませんでした。僕は、専門学校などのアート系の学校を出ていません。最初の会社で1からデザインを習ったので、他の会社や学校に通って、改めてグラフィックとは何なのか勉強したいと思っていました。実は、学校に行ってないことを、ちゃんと勉強できてないのではないかとネガティブに捉えていました。一つの会社で習ったことが、今後いろいろな場所で通用するのかという不安な気持ちがあり、これで正しいのか、別のやり方がないのだろうかという思いから、もっと勉強したいと奮起したのがちょうど30歳の頃でした。3年間フリーランスでやってみて駄目だったら、どこかの企業に戻ることにしました。最初は、お金があまりないので大牟田に戻って、準備を整えた後に、福岡市内で開業しようと思っていましたが、先延ばしにしてもいかんだろうということで、とりあえずホームの大牟田で開業しました。ですが大牟田には、知り合いが全然いなかったのです。地元ですが、友達や身の回りの人たちは、みんな市外や県外に出ていて、つてがない中でのスタートでした。大牟田にはそもそも仕事がないと思い込んでいて、福岡市内に出さえすれば、もちろんライバルも多いですが、そこそこ仕事が受注できて、何かしら活路が開けるだろうと思っていましたね。大牟田には、準備期間として帰っただけのつもりでした。

菊地玄摩 3年間やってみるつもりだったものが続いて、今に至るわけですね。

鶴岡章吾 そうです。全然仕事がないと思っていましたが、商工会議所に登録するうちに、知り合いが少しずつ増えて、そこから紹介に次ぐ紹介でお仕事をいただくようになりました。それがどんどん増えて、むしろ引くタイミングを逃して、そのまま今に至るわけですね。

菊地玄摩 なるほど。30歳で最初の会社を辞めて福岡で学び直そうという目論見は、大牟田の実践の中で別の形で実現していったということですか。

鶴岡章吾 グラフィックを学び直してスキルを上げることは、できてないままです。今までは営業さんが仕事を持ってきて、それをこなすという形でした。なるべくデザイナーも打ち合わせに行くべきだと考える会社だったので、率先して行ってはいましたが、それでも営業さんが行くものでした。でも、一人でやり始めると全ての打ち合わせを自分でやらないといけません。人と人の繋がりや、相手の気持ちをどれだけくみ取れるかが重要で、こうしたことが技術力より求められるわけです。もちろん僕は、グラフィックの技術を高めていきたいと思っていますが、それと同時にこういうことも重要だと独立して改めて気が付きました。相手のことをどれぐらい把握できているのか、それをどんな形で実現して企画に落とし込むのか。グラフィックの技術ではないですが、こうした実践は結構楽しくて面白かったですね。

菊地玄摩 なるほど。ジモハックのインタビューにもありましたが、依頼者がどういう思いで何をしてるのかをつかむと、いい仕事ができるということですね。このテーマは、独立後に見つけたのですか。

鶴岡章吾 やめたときは、グラフィックの高い技術を生かして大きな仕事をやってみたいという意欲がありました。いろいろな世界を見たくて会社を辞めた後、いろいろな人がいろいろな形で繋がっていることを目の当たりにして「僕が枠内にいないなんてもったいないな」「なんかみんな楽しそうだな」と思ったわけです。こうした枠に入っていくような人付き合いは、元々得意じゃないので、多少の憧れもあったのかもしれません。そうこうしているうちに、この人たちといろいろ話したい気持ちが強くなっていきました。

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